カズオ・イシグロと中島京子とメメント

カズオ・イシグロノーベル文学賞をとったということで話題になっている。日本とイギリスの両方のルーツがあるということで、私も10年くらい前に興味を覚えて、デビュー作から6作目の「わたしを離さないで」まで全部読んでいたが、そのあとの「夜想曲集」と「忘れられた巨人」は読んでいなかった。

彼の作品の特徴として、「語り手の記憶が都合の良いように書き換えられて、読者は語り手を信用できない」という書き方があると思う。特に「浮世の画家」と「日の名残り」はそれ系の書き方だ。

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

 

 

中島京子さんはカズオ・イシグロから影響を多く受けたらしい。「日の名残り」が執事一人の記憶の頼りなさを主題にしているのに対し、中島京子さんの「小さいおうち」は戦前・戦中の社会を生きた女中の手記から、今現在を生きている私たちの戦前・戦中へのまなざしの頼りなさを主題にしている(もちろん女中の捉える世界も、また彼女自身のフレームでしかないのだが)。

小さいおうち (文春文庫)

小さいおうち (文春文庫)

 

 

 記憶の頼りなさ、といえば、映画「メメント」である。長時間記憶を保てない男が、妻を殺した犯人を追い詰めいてく物語で、彼は自分の体にメモを残していく。観客はそのメモの残し方を見ていると、記憶障害のない自分自身もまた同じようにいい加減に記憶を捏造しているのだということに気づく。

メメント (字幕版)

メメント (字幕版)

 

 

カズオ・イシグロはなぜ、記憶の頼りなさを主題にした小説を書いたのだろうか。もしかしたら、小さい頃にいた日本の記憶や、両親から聞く日本像から、いかに自分の日本像を作るかを考える過程で、それが自分の姿勢次第でどうにでもなるという危うさに気づいたのではなかろうかと思う。

記憶の捏造・改変は、いたるところで無意識になされており、それが集合的な憎悪や偏見を強化することもある。彼の文学はストーリーとして楽しいだけでなく、そこからさらに自分や社会のものの見方に疑義を呈することができて、自分の栄養になるのがなお楽しい。