社会に張り巡らされている権力

権力というと、誰それは権力を持っている、というふうに人や役職に付随するものとして我々は考えている。しかし、権力をそのように捉えるのではなく、社会におけるコミュニケーションのコードに網の目のように張り巡らされ、日常における行為や発話を通じてひたすら再生産されるものだとする考え方がある(フーコーなど)。

知への意志 (性の歴史)

知への意志 (性の歴史)

 
フーコー入門 (ちくま新書)

フーコー入門 (ちくま新書)

 

 

もっともわかりやすいのはジェンダーである。男らしい振る舞い・発言、女らしい振る舞い・発言が、社会において既にあり、それを用いて自己を表現したり、コミュニケーションすることで、ジェンダーの規範が再生産される。

ジェンダー(社会的な性)に対して、セックス(生物学的な性)という言葉があり、男らしさ・女らしさの起源をセックスにさかのぼって正当化する向きもある。しかし、これに対し、セックスも現在ある男らしさ・女らしさを正当化するために持ち出した架空の道具にすぎないとする考えがある。実際に生物学的な性差があるかもしれないが、それが今ある男らしさ・女らしさに帰結するとは言えないということである。実際、社会・時代によって男らしさ・女らしさは違う。よって、社会的な性差は社会によって作られていると考えることができる。また、異性愛すらも社会を生きている中で形作られるとする向きもある。人間は同性愛をする可能性を持っていても、社会的にそれが押しとどめられ、異性愛になる、と考える立場があるのである。

ここで、男らしくない男や女らしくない女、また、同性愛などは、社会的な性別規範に対する挑戦である。そのようなものは常に社会から排除されたり差別されうる。しかし、この挑戦こそが社会の規範を撹乱し、権力を是正していくのである。

ジェンダー・トラブル―フェミニズムとアイデンティティの攪乱

ジェンダー・トラブル―フェミニズムとアイデンティティの攪乱

 
ジェンダー秩序

ジェンダー秩序

 

 

 性と同じく、当たり前と思われていながら当たり前でないカテゴリとして有名なのが「子供」である。子供というカテゴリーは中世ヨーロッパには存在しなかった。近代学校制度が誕生するに伴って、子供というカテゴリーが誕生し、純真無垢で守るべき対象となっていったのである。このように、「子供」というカテゴリが作られることで新たな権力が誕生したと言える。

〈子供〉の誕生―アンシァン・レジーム期の子供と家族生活

〈子供〉の誕生―アンシァン・レジーム期の子供と家族生活

 

 

社会では、「これが当然」というコードがあって、それに違和感を感じていても、そのコードに乗らずには生きていくことができないということがある。しかし、ジェンダーにおける抵抗のように、自身が感じた違和を大事にして、抵抗していくことが重要である。