Nirvanaと無垢と成熟

小学校6年の頃だったか、Nirvanaを初めて聴いた。その時はまだボーカルのカートは存命だった。自分が聴いたのはBeavis and Buttheadのオムニバスアルバムである。これはMTVでやっていたアニメに登場するビーバスとバットヘッドが二人でああだこうだとすけべな話をしたりして、いろんなバンドの曲が流れていくのである。曲を提供したバンドはNirvanaAnthrax、Megadeath、Run-DMCAerosmith、White Zombie、Primus、Cher、Red Hot Chilli Peppersなどで大変豪華である。このアルバムの第1トラックでビーバス・バットヘッドがふざけた掛け合いをやったあとに流れるのが、NirvanaのI hate myself and want to dieであった。

Beavis & Butt Head - Experience - Soundtrack

Beavis & Butt Head - Experience - Soundtrack

 

この時、まだ洋楽をほとんど聞いたことがなかったのだけど、こんな素晴らしいアルバムをその時に聞けたのはよかったと思う。ただ、その時はまだNirvanaに入れ込むということはなかったし、また、当時そこまで人気があったということも知らなかった。

その後、高校になってから友人が僕をNirvanaOasisを聴くように私を洗脳しはじめて、私自身まんまとその洗脳に乗ってしまった。

Oasisはその時に出ていたアルバムのうち、Be here now以外はとても良かった(definitely maybeとmorning gloryとthe masterplan)が、Be here nowがイマイチすぎてその後をあまり追いかけることがなくなってしまった(その後Heathen Chemistryでまたファンに戻った)。

Nirvanaだが、当時すでにカートは亡くなっていた。Nirvanaのアルバムは当時、BleachNevermind、Incestiside、MTV Unplugged in New York、From the Muddy Banks of the Wishkahが出ていた。

私がよく聞いていたのはIn Uteroだった。このアルバムはとにかく暗いし、音が全体的に前衛的で、とにかく痺れた。 

In Utero

In Utero

 

ところが、Nirvanaがその人気を不動のものにしたNevermindやその次の作品のIncesticideについてはあまりよくわからなかった。

NEVERMIND/REMASTERED

NEVERMIND/REMASTERED

 
Incesticide

Incesticide

 

Come as you areなどかっこいい曲はいくらでもあるのだが、全体的に単純なリフ、意味というか意図のよくわからない歌詞に戸惑った。例えば、Sliverという曲では、自分の子供時代なのか、お芝居を観に行った両親に置いてけぼりになりおばあちゃんと過ごすということだけをひたすら書いた歌詞になっている。また、Drain youという曲で途中で謎のタメがあるところも、全然良いと思えなかった。

なんだこりゃと思った高校時代の私はニルヴァーナの歴史を書いた本を読んだ。ちなみにそれまで本をちゃんと読んだことがなかったので、これが私の最初に読んだ本である。

病んだ魂―ニルヴァーナ・ヒストリー

病んだ魂―ニルヴァーナ・ヒストリー

 

ボーカルのカートはどうやら両親の離婚によって親戚をたらい回しにされたことが、その後の彼に強く痕跡を残し、それが子供時代への憧憬につながっているのだろうということがわかった。そしてその後も彼はバンドが売れていく中で、「昔の方が良かった」という気分になっていくのである。

「親に捨てられた」とか「昔の方が無邪気にやれた」という、「もう過去には戻れない」という気持ちを持っていたことや、「朝起きたらまだ生きていたのかと思う」などの鬱々とした感情を吐露していたことがわかる。

私も当時彼ほどではないにせよ、歳をとることにはネガティブな気持ちを持っていた。そして、自分自身が鬱っぽくなって、「空が美しい」といった感受性がだんだんとなくなっていて、今後どんどん全てが面白くなくなるのだろうか、とか、それなら生きる意味があるのだろうか、といったことを考えていたので、カートの感受性を知って、ますます落ち込んでいったのを今でもはっきり覚えている。

 

鬱々とした気分はその後何年も残っているが、ある程度の山を超えたような気がする。

カートの「失われていく無垢」に絶望する感受性はアメリカ独特という印象がある。キャッチャー・イン・ザ・ライとか・・・。これに対して、ヨーロッパは歳をとることについて「成熟」とポジティブに捉える印象がある。カートの鬱々としたところは、アメリカのピューリタンのピュアさを希求するところにもしかしたらルーツがあったりするのではないのだろうかと考えた。そういう場所では「なぜ悪がこの世にあるのか」と、悪を問題視する世界観であり、ピュアさは消えていく。カートが、歳をとっても子供のような声と音楽性を失わないダニエル・ジョンストンを好きになったのもそういう理由ではないだろうか。

 

などと、色々考えてみたが、もう私は成熟をポジティブに捉える世界観を選択している。カートが辛さの山を超えた後に書く楽曲を聴いてみたかったと思う。