選択的情報摂取と非選択的情報摂取

人間は情報を摂取しながら生きている。例えば、絵を見せられたらそれを情報として摂取する。人間はものを見たり、文章を読むとき、基本的には自分のその後のアクションに資する情報を大雑把に無意識的に摂取する。そして、必要があれば細かく見ていく。

 

ところが、新しいものを見るときは、何が自分に重要なものかわかりづらいので、基本的には隅々まで汲み取ろうとしているのだと思う。例えば旅行先で新しい景色を見た場合は、非選択的に情報を受け入れている。また、映画館のような環境を与えられた時や、小説を読む時、なるべく選択でない方法で、くまなく情報を摂取しようとしているのではないかと思う。もちろん、そういう場面においても、情報の摂取の個人の癖が出てしまうのだとは思う。

 

人間、自分に役立つ(と思う)情報だけを摂取しようとすると、どんどん考えが狭くなって行く。とはいえ、いつでも全てを摂取しようとすると時間がなくなって次の行動を取れなくなる。

だから、選択的に情報を摂取しても良いモードの時と、非選択的に情報を摂取するモードを自分の中に持ち、それらをうまく使い分けながら、効率的な情報収集をしたり視野を広げればいいのだと思う。

 

もっとも、非選択的な情報収集をただテレビを見るのに使うのは全然意味がないだろう。小説とか映画とか論文とかそういうのを読んだり、自分が興味のないものにとにかく触れて見るとか、そういうレベルではある程度意識的になっておいたほうがいい。