物語のメインプロットと主人公のサブプロット

多くの物語では、メインプロットが一本あり、そこに様々な人間のサブプロットがぶら下がっている。

メインプロットは例えば、部活に入ってから全国大会までとか、病気を発症して死ぬまでとか、客観的な事実として描きやすいものを用いることが多く、こうすると物語がどこへ向かうのかがわかりやすく読者・観客が物語の流れの中に入りやすい。

しかし、「部活に入ること」や「病気を発症すること」それ自体は、「物語の始まり」とは言えないと思う。物語の始まりというのは、メインプロットの開始の後に主人公が自身の抱える問題に直面する場面で始まるのである。

例えば、単に主人公が部活に入り、頑張って練習して、全国大会に優勝しました、では全然お話ではない。もしこれをお話にしようとするならば例えば次のように主人公の課題を持ってくる必要がある。以下、即興で物語を書いてみる。

主人公は小さい頃から自分が人の役に立てる人間ではないと思い込んで生きてきた。それは小学校時代のいじめなどが原因だった。中学に入ってからは特段いじめに遭うことはなかったが、小学校までに身についた「自分は人の役になんか立たない」という思考プロセスは変わらないままだった。主人公は一人で黙々と絵を描くことが好きで、部活は美術部に入ろうとしていた。しかし、ある時、ひょんなことからバスケ部に入ることになった。本人は入りたくなかったが、先にバスケ部に入った中学の友人が、部員が少ないからと、強引に入れたのである。主人公はバスケ部の試合で大事なところで積極的に前に出ることができず、いつもそれが原因でチームは負けていた。そんな中、ある日、電車で苦しくて倒れた人を見てしまう。助けようと思うが、ここでもやはり「自分は役に立たない」との思いが邪魔をし何もできず、家に帰ってから自分を責めるようになる。主人公は部活で練習は真面目にこなすので、身体能力は確実に上昇している。部活に誘ってくれた友達もさすがといった目で自分を見てくれる。練習ではかなり力を発揮し、部活内で最も期待される。しかし、いざ試合になるとやはり「自分は役に立たない」という考えが邪魔をし、チームを敗北に導いてしまう。もう残りの試合が少なくなってきた頃、主人公はバスケ部をやめようと考えていた。そんな時、バスケ部に誘ってくれた友人の弟が重病で入院すると聞いた。何度か見舞いをするうちに、その弟が部活の試合を見に来ており、主人公の身体能力に憧れていること、絵を描くのが好きなことを知る。主人公はこの弟に絵の書き方を教えていくうちに、自分が少し役に立てている気分になれることと、この弟がバスケ部が全国大会に出ることを祈ってることを知る。やがて、主人公は試合でも力を発揮することができるようになり、電車内で倒れた人を救えるようになる。そして、最後にチームを勝利に導く。

 

とまぁ、とってもクサい話であり、かなりご都合主義的だが、こんな感じで主人公の弱さが課題となり、それがメインプロットに関わる中で解決されるということが重要だ。

作品名は挙げないが、最近「余命数ヶ月」みたいな話の小説原作の映画を見て、誰も自分の弱さに打ち勝つようなところがなく、お涙頂戴で終わってしまっているのを見て、主人公のサブプロットは重要だなと思った次第である(当たり前の話だと思うけど)。