一度見えるとずっと見える

新しいカバンを買うと同じカバンを持っているひとに気づきやすい。そして、自分の買ったカバンがすごく流行っていて、街中で見かけることに気づく。ところが、そのカバンを持ってない人にそのことを言うと、「そうなの?初めて見たけど」と言われる。絶対見ているはずなのだが。

赤ちゃんは成長する過程で物体と概念を認識していく。いったんりんごをりんごとして認識しはじめると、意識せずとも目にりんごのある絵が入ってきたら、それらをちゃんとりんごと認識し、それ以外のものというふうには見ることができなくなる。

昔私がかかっていた眼科医は、小さな頃からすごい飛蚊症だったが、医学部に入って飛蚊症を学ぶまで気づかず、学んだあとに視界が大量の糸くずのようなものがあるのに気づいて困ったと言っていた。

ロンドンにいるとき、日本人のサラリーマン(個人だったり集団だったり)を見ると、すぐにそれとして認識できてしまい、目にとまってしまっていた。

私の知り合いで、倒れた人を介抱する技術を学んで、街で実際に倒れたひとを数回救ったら、それ以後、危なそうなひとが目に入るとちゃんとそのような人として認識するようになってしまった人がいる。その人によると、街には苦しそうにしている人が多いことに気づいてしまって、それ以後街に出ると自然とそういう人を認識してしまうようになってしまったという。人が倒れるところに出くわす回数が減るとその認識がやわらぐらしいが、一回出くわすとその後しばらく、倒れる人に遭遇しやすくなるので、気が落ち込んでしまうらしい。

社会や街には苦しみだったり喜びだったりがあって、気づく人にはそれがそれとして認識されてしまう。逆にいうと、普段それに気づかない人はずっとそれに気づかないで素通りしているのだな。